おはようございます。
本日の記事は5年前の東日本大震災への私の今思うことを書いています。ちょっと暗い内容になっていますので、思い出したくないよ、という方は、そっと閉じて下さいね。
只今夏季休暇真っ最中のワタクシ、つい先日まで携帯の電波の届かない田舎の山で4日間過ごしました。
まさかとは思いましたが、使えるのはdocomoのみ。今時?!
確か、以前家の2階に上がればauの電波が拾えてた筈が、使えなくなっていました。
パソコンもない家なので、強制デジタルデトックスの4日間でした。
4日間過ごした家の前の景色です。
【目次】
津波で街が消えた!
4日間を過ごした場所は、宮城県の南三陸町の山の中。5年前の3月11日、市街地は津波で建物は消失、多くの方が亡くなりました。
前回親戚宅を訪れたのは震災の翌年、2012年8月。
2012年の様子。
町役場は骨組みのみになり、漁船が山の中にあったりで被害の大きさを物語っていました。
5年経った南三陸町の今
5年前に訪れたの時、市街地の建物がなくなった事により、あるのは道路のみ。以前ならナビがなくてもたどり着けた場所が、目印が無くなった為、道が良くわかりませんでした。
5年経った街の風景は一変。
一枚目の写真と全く同じ場所ではありませんが、同じ街中で、嵩上げ工事の真っ最中。
海沿いの街ですが、以前あった水門は取り壊され、盛り土で海は見えません。盛り土で囲まれている為、何処を走っているのか良く分からず。
山の中に住んでいる80近い伯父伯母は、街に降りてくると道に迷うそう(カーナビはありません)。
道路もしょっちゅう変わっているそうです。
久しぶりに行った私たちも景色が変わりすぎていて、カーナビがあったにも関わらず迷い、地元の方に道を尋ねました。
主要道路のあちこちに「過去の津波浸水区域」ここからここまでという、標識がありました。
車で走ると、こんなところまで津波が来たのかと驚いてばかり。
真新しい建物を見るたびに、ああ、ここもここも……….と、なんとも言えない気持ちになりました。
線路があった場所の一部はバス専用道路になり、駅はバス停に。バス停の名称は〇〇駅と、なっていました。
できる事は何もないけれど
5年経ってようやくここまできたか…というのが正直な感想。小さい頃から何度も訪れている場所、早く賑わいが戻ってくることを願っています。
何かできる事は無いものかと考えてみても、何も浮かばず。
大規模災害が起きると、少しでもできる事をしようと思い募金はするものの、その後できる事って何も無いんだなと、無力感に襲われます。
今の私にできる事は何もないけれど、忘れないように、娘にも伝えていきたいと思います。